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そして今年も

今年もマラソン大会が行われた。今年も天気は曇り。暑すぎず、寒すぎない、走るにはちょうど良い天気だった。

昨年のマラソン大会後、出店者や市民から「来年もまたやってほしい!」と大盛況だったので、予算会議でマラソン大会の予算を確保し、春から出店交渉や準備を進めた。今年は市民も楽しめるようにマラソン講座を設けたり、出店ブースも増やした。でも、まだまだできることはあると思う。

改めてマラソンについて調べてみたが、マラソンは運動神経に自信がなくても気軽に始められるということで、幅広い世代に人気の高いスポーツと知った。確かに、マラソン大会を開催して「こんなにたくさんの人が走るのか!」と驚いたが、改めてマラソンへの人気の高さを感じることができた。県外からわざわざ来た人もそうだが、先輩のお父さんだってそうだ。普段は全然運動なんかしていなかったのに「市がマラソン大会をするなら!」言って、同級生と一緒に二年連続で大会に参加してくれた。

『スポーツとまちづくり』(http://sports-townplanning.com/)というサイトにあるように、地元への経済効果も想像以上だった。スポーツが地域振興に貢献していることを、今更ながら改めて実感した。

春から市内のお店に行っては出店交渉をし、マラソン大会告知のためにポスターとチラシを持って行ってお店に貼ってもらうようお願いをした。中には断られ、相手にしてもらえないお店もあったが、基本的には「いいよいいよ」「市がやるイベントなら協力する」「私たちもお客さんに来てもらいたいしね」と好意的だった。前日から町はランナーでにぎわい、経済効果もあった。

教育を良くしていきたいとの思いで選んだ進路で、地方都市に飛ばされたときは落胆したが、このような経験ができるとは全く予想もしていなかった。今までスポーツはあまり得意ではなく避け続けていたけど、これを機にマラソンを始めてみても悪くないかもしれない。何よりここは空気がおいしく、走っていても気持ちよさそうだ。そしていつか、マラソン大会に出てみようと思う。

マラソン大会当日

マラソン大会当日は曇り。雨じゃなかったのが幸いだ。僕はマラソン参加受付と、給水所でランナーに飲み物を配る係を担当することになった。また、市のPRのために、受付会場に地域の特産品や名物料理を振る舞う露店を出店した。早朝から準備の人で会場はにぎわっていた。僕は会場で準備をする人々を見ながら、参加者に地域のことを知ってもらいたい。地域振興につなげたい。そう考えながら日々お店の人、地域の人の協力のもとで大会の準備を進めてきた日々を振り返っていた。

最終的に20近くの店が協力してくださり、どの店も大盛況だった。協力してくださった方からは「大変だし最初はあまり店を出したくなかったけど出してよかったよ」との声をいただき、マラソン大会に参加した人からは「地元の食を楽しめてよかった」「新鮮な野菜を安い値段で買えた」という会話を耳にし、参加者にも喜んでもらえてよかったとホッとした。

受付終了後に給水所へ移動。いつもの日曜日とは違う町の雰囲気に、僕は不思議とドキドキした。沿道では沢山の人が駆けつけ、ランナーに向かって「がんばれ~」と手を振ってエールを送った。僕はランナーに飲み物を渡してったが、中には市役所の職員や、大会の準備を通じて知り合った人やその家族もいた。一緒に飲み物を配った先輩職員は「親父が同級生と一緒に走るって申し込みしたんだけど、大丈夫か心配で・・」とハラハラしながら見守っていたが、最後まで怪我無く走り切ったようだった。

初めてのマラソン大会は定員以上の申込みがあり、たくさんの人が町に訪れ、成功のうちに終わった。普段は寂しい町が、マラソン大会というイベントを通して確かに一体化した。「健康寿命の長い町」は、こういうことなんだろうなとふと思った。そして、初めて自分が企画から携わったイベントが無事に開催されて、喜んでくれる人がいることが感慨深かった。

準備、準備、準備

春に企画したマラソン大会は、11月の第三日曜日に開催することになった。

東京にいた時にはイベントの企画・運営をしたことがなかった。そのうえ見知らぬ土地で、初めてのマラソン大会を開催することになり、不安要素も沢山あった。当日の天候。怪我、事故は無いか。参加者は集まるのか。出店してくれるお店はあるのか。こうした不安には一つ一つ向き合い対応していった。

天候についてはどうしようもない。予備日を設けるか協議したが、予備日は設けず雨天決行で決まった。

怪我、事故は起こさないように準備をしっかり行い、またプログラムに準備運動を入れ、走り終わった人にはクールダウンの運動を呼びかけるように決めた。

参加者集めについてはマラソン好きの職員が「ランネット」というサイトを活用することを提案してくれた。「ランネットでマラソン大会を検索できて、しかも応募もできるからかなり便利だよ。ランネットに掲載してみたら」と教えてくれたおかげで、県内だけでなく県外からも多くのランナーから参加申し込みが入った。また、広報がSNSを活用してマラソン大会の情報を流したり、ケーブルテレビでマラソン大会のアピールを積極的に行ったのもかなり効果的だった。

大会前日。普段そこまで人通りの多くないこの町に、全国各地から数千人の参加者が集まって町は活気づいていた。駅前の商店街は英気を養うランナーたちで溢れかえり、この日は市内のホテルもほとんどが満室になったようだ。

前日は朝からずっと慌ただしく動いていた。会場確認、備品の運搬、出店者への挨拶や場所誘導、準備の手伝いなど、あっという間に時間は過ぎていた。

自分が初めて企画から携わったマラソン大会。無事に開催されるか、事故無く、みんなに楽しんでもらえるか気になってなかなか眠れなかった。

初めてのイベント企画

2016年春。僕はとある地方都市に飛ばされ、そこで初めて担当した仕事がマラソン大会の企画・実行委員の仕事だった。朝の朝礼で市長が「スローガンである健康寿命の長い町を実現するため、マラソン大会を開催しよう」と言ったのがきっかけだ。

市長の言うとおり、この市が掲げるスローガンの1つに「健康寿命の長い町」というものがある。老若男女問わず健康に過ごせる町づくりを軸のひとつとして掲げているということを、実はこの時初めて知った。(もちろん、その後他のスローガンも確認した)

マラソン大会を企画・運営するための実行委員会が結成され、スポーツ振興課の職員はその中心に、もちろん僕も実行委員の一員に加わった。東京にいた時はイベントを企画・運営するということがなかったので、慣れない環境に飛び込んだばかりの僕にとって不安と、わからないことの連続であった。

マラソン大会に限らず、イベントを開催するには様々な人たちの協力を取り付ける必要がある。それに市が主催するとなると税金を使うことになり、イベントで使える予算は限りがあった。そして、その予算以上の地域貢献につなげる内容にしなければならない。

僕が何よりも大変だったのは地域の人たちとのコミュニケーションだった。自分とは違う環境で育ち、違う論理で動いている人と関わることはとてもストレスで、初めのうちは衝突することもあった。『なぜ僕の言っていることがわからないんだ?!』という気持ちで相手に接していたが、これではいけないと、自分から相手のことを理解しようと考えを改めた。『なぜ、この人はこう言っているんだろう?』と相手のことを理解しようと考え、行動した結果、徐々にコミュニケーションが上手く取れるようになった。

この地域の人たちは『こいつは自分たちの仲間だ』と思ったら最大限に協力してくれる。村社会的な考えに初めは面食らったが、相手を理解し、行動したことで問題を打破できた。

東京から出なかったらできなかったであろう濃密な人間関係を築いた僕は、今では市内を歩くと「あ、●●さん!」と挨拶や会話をする人が増え、時には「これ持ってって!」と野菜や手料理をもらうことも。東京ではありえないことが、ここでは日々あたりまえに繰り広げられている。

自己紹介みたいなもの

ふと、この仕事をするまでの経緯と、この仕事を通じて感じたことなどを残そうとブログ設立。

僕はもともと教育に関心があり教員を目指して大学進学しが、大学進学後に『教育を行政の立場から良くしていきたい』と思うようになり、文部科学省を目指すことに。必死に勉強し、運良く内定を頂き、文部科学省に入庁した。

2015年にスポーツ庁が発足した時、僕はそこへの異動を命じられた。もともと運動が苦手で体育の時間もあまり好きではなかった自分にとっては全く未知の領域で、また教育を行政の立場から良くしていきたいという思いもあり、スポーツ庁への異動がとても不安だった。次の年、2016年には出向を命じられて、とある地方都市へ行くことに決まった。

テレビドラマの影響で僕の中では「出向=左遷」というネガティブイメージがあった。しかし先輩から「国家公務員の出向の目的は違う場所での経験を積ませることにある。キャリアの中に、出向は必然的に組み込まれているものだよ」と言われた。生まれてからずっと東京で過ごしてきた自分にとって、慣れない環境にいきなり飛ばされることはショックで「なぜ自分が」と相当落ち込んだものだ。

僕が行った地方と東京では生活環境が何から何まで違う。まず電車の本数。朝夕は30分に1本なんとかあるが、それ以外は1時間に1本が当たり前。スーパーや飲食店は国道沿いに集中して建っており、町中はさびれている。家は町中にあり、最寄りのスーパーへ歩いて行くと20分はかかる。東京みたいに、町中にスーパーや飲食店、公共施設をコンパクトに配置すればいいものの、あっちこっちてんでばらばらに建っているのが理解できなかった。国道沿いに建つ=車社会なのだろう。郷に入れば郷に従え。僕も車での移動が増え、東京にいたときは身分証でしかなかった免許が大活躍するようになった。

東京と地方では人の雰囲気も全く違う。ここの職員は全体的にのんびりしている。東京のせかせかした雰囲気は苦手なところもあったが、ただここの職員はあまりに仕事が遅すぎてイライラすることも少なくない。しかし、1年もすると町や人に慣れてきて、移り住んだ当初に比べるとイライラする事が減った。というより、「いつまでも東京と比べてもしかたない」と諦めてから、町や人を見る目が変わり、近頃は地方での暮らしも悪くないな、と感じるようになってきている。