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初めてのイベント企画

2016年春。僕はとある地方都市に飛ばされ、そこで初めて担当した仕事がマラソン大会の企画・実行委員の仕事だった。朝の朝礼で市長が「スローガンである健康寿命の長い町を実現するため、マラソン大会を開催しよう」と言ったのがきっかけだ。

市長の言うとおり、この市が掲げるスローガンの1つに「健康寿命の長い町」というものがある。老若男女問わず健康に過ごせる町づくりを軸のひとつとして掲げているということを、実はこの時初めて知った。(もちろん、その後他のスローガンも確認した)

マラソン大会を企画・運営するための実行委員会が結成され、スポーツ振興課の職員はその中心に、もちろん僕も実行委員の一員に加わった。東京にいた時はイベントを企画・運営するということがなかったので、慣れない環境に飛び込んだばかりの僕にとって不安と、わからないことの連続であった。

マラソン大会に限らず、イベントを開催するには様々な人たちの協力を取り付ける必要がある。それに市が主催するとなると税金を使うことになり、イベントで使える予算は限りがあった。そして、その予算以上の地域貢献につなげる内容にしなければならない。

僕が何よりも大変だったのは地域の人たちとのコミュニケーションだった。自分とは違う環境で育ち、違う論理で動いている人と関わることはとてもストレスで、初めのうちは衝突することもあった。『なぜ僕の言っていることがわからないんだ?!』という気持ちで相手に接していたが、これではいけないと、自分から相手のことを理解しようと考えを改めた。『なぜ、この人はこう言っているんだろう?』と相手のことを理解しようと考え、行動した結果、徐々にコミュニケーションが上手く取れるようになった。

この地域の人たちは『こいつは自分たちの仲間だ』と思ったら最大限に協力してくれる。村社会的な考えに初めは面食らったが、相手を理解し、行動したことで問題を打破できた。

東京から出なかったらできなかったであろう濃密な人間関係を築いた僕は、今では市内を歩くと「あ、●●さん!」と挨拶や会話をする人が増え、時には「これ持ってって!」と野菜や手料理をもらうことも。東京ではありえないことが、ここでは日々あたりまえに繰り広げられている。

自己紹介みたいなもの

ふと、この仕事をするまでの経緯と、この仕事を通じて感じたことなどを残そうとブログ設立。

僕はもともと教育に関心があり教員を目指して大学進学しが、大学進学後に『教育を行政の立場から良くしていきたい』と思うようになり、文部科学省を目指すことに。必死に勉強し、運良く内定を頂き、文部科学省に入庁した。

2015年にスポーツ庁が発足した時、僕はそこへの異動を命じられた。もともと運動が苦手で体育の時間もあまり好きではなかった自分にとっては全く未知の領域で、また教育を行政の立場から良くしていきたいという思いもあり、スポーツ庁への異動がとても不安だった。次の年、2016年には出向を命じられて、とある地方都市へ行くことに決まった。

テレビドラマの影響で僕の中では「出向=左遷」というネガティブイメージがあった。しかし先輩から「国家公務員の出向の目的は違う場所での経験を積ませることにある。キャリアの中に、出向は必然的に組み込まれているものだよ」と言われた。生まれてからずっと東京で過ごしてきた自分にとって、慣れない環境にいきなり飛ばされることはショックで「なぜ自分が」と相当落ち込んだものだ。

僕が行った地方と東京では生活環境が何から何まで違う。まず電車の本数。朝夕は30分に1本なんとかあるが、それ以外は1時間に1本が当たり前。スーパーや飲食店は国道沿いに集中して建っており、町中はさびれている。家は町中にあり、最寄りのスーパーへ歩いて行くと20分はかかる。東京みたいに、町中にスーパーや飲食店、公共施設をコンパクトに配置すればいいものの、あっちこっちてんでばらばらに建っているのが理解できなかった。国道沿いに建つ=車社会なのだろう。郷に入れば郷に従え。僕も車での移動が増え、東京にいたときは身分証でしかなかった免許が大活躍するようになった。

東京と地方では人の雰囲気も全く違う。ここの職員は全体的にのんびりしている。東京のせかせかした雰囲気は苦手なところもあったが、ただここの職員はあまりに仕事が遅すぎてイライラすることも少なくない。しかし、1年もすると町や人に慣れてきて、移り住んだ当初に比べるとイライラする事が減った。というより、「いつまでも東京と比べてもしかたない」と諦めてから、町や人を見る目が変わり、近頃は地方での暮らしも悪くないな、と感じるようになってきている。